2008年9月14日日曜日

クレーの絵に見る線と色彩の調和


「芸術は目に見えるものを再現することではなく見えるようにするものである。」


 この絵も感性だけで描いているように見えますが、それほど単純ではありません。以前、クレーの日記の紹介をしましたが、視覚的な表現を理論的に精錬していく過程が生み出すもの(計算された感覚)なのです。 

 作品の時代背景 ヒットラーの政権化のドイツにあって、政治的に危険と思われたクレーのアトリエは捜索を受けたり、晩年に訪れる皮膚硬化症(進行性で命にも関わる病)の発症、そして、ドイツからスイスへと国を持たずに過ごす悲哀(彼の自由な表現はナチス支配下の祖国ドイツからは追われ、当時保守的な誕生の地スイスへの亡命を望みながらも、これもついに果たされることはなく60年の人生を閉じた。)のなか・・・。


 クレーは、自分の創作活動を丁寧に記録しています。このようなメモ(源泉)は、しだいに多くの美しい作品を生み出すことになります。この作品もそうですが、「色彩と線のみごとな調和」はクレー自身の『計算』によるものです。この音楽(ハーモニーやリズム)を感ずるような絵には、音符(記号)が隠されているのです。絵画でも音楽でも、何かを表現することは、思うほどたやすいことではありません。

2008年9月3日水曜日


梅原猛「湖の伝説」の紹介


「三橋節子」という日本画家を知っていますか。

詳しく知りたい人は梅原猛さんの「湖の伝説」を読んでください。「湖の伝説-雷の落ちない村」は、35歳の若さでこの世を去らねばならない三橋節子さんが、「くさまお」と「なずな」という二人のわが子に残した絵本です。「右腕切断」後に左手で描かれた絵本です。それから、近江昔話から題材をとった「三井の晩鐘」。「ありがとう、幸せやった」と最後のことばを残して・・・こどもたちには最後の手紙を残している。

わたしは、幾度か大津にある三橋節子さんの「小さな美術館」を訪れています。小高い丘にあるその美術館には、三橋節子さんの穏やかで美しい絵が整然と並んでいます。見ている人の少ない、静かな空間に、わたしは『白い線描の美しい絵』をいつまでも眺めています。

「三井の晩鐘」の三井寺がすぐそばにあり、わたしは散歩がてらにこの周辺を歩くのも好きです。

2008年9月2日火曜日

ルドンの絵には闇がある



ルドン「ケンタウロスと龍」の紹介



ルドンの作品は、このブログでも幾度か紹介しています。ルドンの描く「象徴的な世界」が個人的に好きで、よく取り上げているのです。この「ケンタウロスと龍」は、ギリシア神話から題材を得ています。ケンタウロスが龍と闘っているところを描いていますが、闇の中に浮かぶその姿に、わたしはいつも静寂とむなしさを感じてしまいます。ケンタウロス(下半身が馬で上半身が人の姿)には、きわめて攻撃的(野蛮)なものと、知性を備えたものとがいます。むろん、その両方を持ち合わせたものも多くいたと思います。いずれにしてもギリシア神話では、英雄ヘラクレスの手でケンタウロス族は滅ぼされてしまいます。ケンタウロスの姿の裏に人間の姿をダブらせて見てしまうのは、わたしだけだろうか・・・。


以下は最近のニュースです。

ロシア軍報道官は28日、同国北部のプレセツク宇宙基地で大陸間弾道ミサイル「トーポリ」の発射実験を実施し、カムチャツカ半島の標的に命中させる成功を収めたと述べた。地元メディアが報じた。同ミサイルにはミサイル防衛(MD)システムによる探知を避ける能力があるとしている。 米国が東欧で推進し、ポーランドが先にミサイル配備に合意したミサイル防衛システムを意識した実験とみられる。ロシアは自国の防衛力への脅威として同システムに激しく反発していた。 ロシアはポーランドが配備に踏み切った場合、報復措置を示唆していた。ロシア軍報道官は今年末まで類似の発射実験を繰り返すとも言明した。


ルドン「蝶と花」の紹介


この「蝶と花」は、板に水彩で描かれています。水彩やパステルを使った作品が多いのもルドンの特徴です。頭の中に浮かぶイメージをすばやく描きとめるには、適した画材だと思います。ルドンは、蝶を繰り返し描いています。昔から蝶は、「死者の魂」の象徴とされています。おそらくルドンは、死のイメージを意識してこの絵を描いたものと思われます。若き頃、妹や弟の死を、ルドンは目にしています。幼い息子の死にも、立ち会うことになります。パステルの粉のように、ルドンの絵は、いつも危うくデリケートなものになります。ルドン自身、蝶のように彷徨しているように見えます。晩年、花を繰り返し描いていますが、この美しい花こそ「母親のイメージ」であり、この絵の片隅にも見られます。ルドンは、幼いときに母親に捨てられています。この『心の傷』が、すべての作品に見られます。わたしは、ルドンの絵に「風」を見ているのかもしれません。