2008年11月19日水曜日

フュースリの「悪魔」

フュースリの「悪魔」
 フュースリの作品の中には神話やダンテ、そしてシェイクスピアなどイギリス文学に題材を取ったものが多い。強い明暗と象徴的な色使いが絵の特徴ですが、技法的にはミケランジェロに負うところが大きい。ミケランジェロは神々の崇高さを、その肉体(フォルム)の力強さで表現していますが、フュースリは人間の内に秘めている恐怖心や幻想を、感性で表現しようとしたのです。
 フュースリは、1741年チューリッヒに肖像画家の子として生まれました。若い頃は、絵よりも文学に興味があり、コレギウムでは教師のボドマー(ミルトン『失楽園』やシェイクスピア作品などの翻訳・紹介で名高い)に影響を受け、のちに骨相学者として有名になるラヴァーターと親交を深めます。ふたりは1762年にチューリヒの代官の不正を告発することから郷里を追われ、ベルリンに逃亡することになります。フュースリはボドマーや英国大使のつてを頼って1764年にロンドンに移住します。 翌65年には新古典主義の聖典、ヴィンケルマン『古代美術模倣論』の英訳本を刊行します。その後スイス時代から崇敬していたジャン =ジャック・ルソーに会い、67年に『ルソーの著作と生涯について』を刊行。美術だけにとどまらず思想や文学まで幅広い活動をしていました。しかし、官学派の巨頭ジョシュア・ レノルズから画家になるよう勧められ、本格的に「画家への道」を歩むことになるのです。1770年から8年間イタリアに滞在して、画家としての修業を積むが、古典主義的技法の習得に励むものの、頭の中はロマン主義表現に夢中だったのです。帰英したフュースリはサロンの中心的存在となり、1782年にはロイヤル・アカデミーにこの『悪魔』を出品しています。何故かその後にも、同じテーマで何枚も描いている。ダンテやシェイクスピア、ミルトンなどの文学作品をテーマに幻想的な絵画を描いていきます。99年にはロイヤル・アカデミー教授に就任し、詩人であり画家でもあるウィリアム・ブレイクと出会い、いい意味での「生涯のライバル」になります。フュースリとウィリアム・ブレイクは、その文学的傾向からか、描く絵には多くの共通点が見られます。

2008年10月5日日曜日

池田満寿夫著『思考する魚』の紹介


池田満寿夫著『思考する魚』の紹介


1974年発刊の池田満寿夫著『思考する魚』は、雑誌などに書いたエッセイをまとめたものです。池田満寿夫の考え方や感覚がよくわかります。この本の中に、『月映』(詩の雑誌)の挿絵を描いていた版画家田中恭吉や恩地孝四郎について書いている。当時、すでに故人である田中恭吉や恩地孝四郎の遺族に会いに行くほどの熱意を見せている。取材メモのようなスタイルをとっているが、これが池田満寿夫にとっての創作上の転機になっている。作品がよりいっそう感覚的になり、情緒的傾向を見せるようになります。わたしは、これら版画家に影響を与えたのは、むしろ『萩原朔太郎』その人ではないか・・・とすら思っています。

2008年9月25日木曜日

池田満寿夫の版画『プレゼント』の紹介


池田満寿夫の版画『プレゼント』の紹介


この作品『プレゼント』は、『部屋の中の死』の前年に制作されました。この作品には、『部屋の中の死』ほどの異様さを感じませんが、「不機嫌な時代」の作品に見られる特徴「引っ掻き傷」が見られます。そのことが、ことさら陰鬱なものを感じさせてしまうのです。しだいに触感的なイメージに執着していく傾向が見られます。

2008年9月23日火曜日

池田満寿夫の版画『部屋の中の死』の紹介


池田満寿夫の版画『部屋の中の死』の紹介


池田満寿夫さんの多くの版画作品から『部屋の中の死』を紹介します。池田満寿夫さんが版画をはじめたのは1956年、友人の画家・瑛九の勧めがきっかけでした。1966年の第33回ベネチア・ビエンナーレ展には、《天使の靴》《タエコの朝食》など28点を出品して版画部門の大賞を受賞。32歳の池田満寿夫さんは版画家としての名声を得たのです。これ以降、池田満寿夫さんはマルチタレント並みに活躍するのです。版画家としてだけでなく、小説や映画制作まで幅広い表現を試みることになります。この版画『部屋の中の死』は1974年の作品です。「不機嫌な時期」と言われる頃に制作された1枚ですが、わたしには強く印象に残っている版画です。この頃の版画には、画面を横切る線や引っかき傷が描かれることが多くなります。小説『エーゲ海に捧ぐ』が書かれたのもこの頃だと思いますが、表現がストレートになり感覚的になってきた時期でもあります。池田満寿夫さんの多くの版画には感覚的なイメージの合成にすぎない作品も多いのですが、この作品『部屋の中の死』には『異質なもの』を感じたのかもしれません。わたしたちは、視覚的な異様さには敏感に反応するのですが、この作品にはその異様さを感ずるのです。池田満寿夫さんの本『思考する魚』には、その頃の「重苦しい感情」が書かれています。そのせいか、この作品『部屋の中の死』には、素直に陰鬱なものを感じてしまうのです。

2008年9月22日月曜日

クレーの日記『無限の造形』の紹介


クレーの日記『無限の造形』の紹介


クレーの作品を幾度かこのブログで紹介しています。この『無限の造形』は、クレーの講義のための覚書でもあり、創作メモでもあります。そう意味では、クレーの作品に隠されている意味合いを考えるためには欠かせない本だと言えます。造形上のフォルムや色彩は、自然界の法則・円環運動と無縁ではありませんが、簡単なスケッチと詩的な言葉でわかりやすく書かれています。クレーの『造形思考』が、この本にぎっしり詰め込まれているのです。日本人の自然観とよく似た表記もあり、わたしにはクレーの作品以上におもしろいものです。

2008年9月19日金曜日


モロー「オルフェ」の紹介

竪琴の名手オルフェウス。人間だけでなく、動物をも魅了するほど美しい音を奏でた。オルフェウスは、エウリュディケの死後、女をさけていた。トラキアの乙女たちは、オルフェウスをとりこにしようとしたが、彼は見向きもしなかった。ディオニュソスの儀式の時に、女たちは興奮して「あそこに私たちを馬鹿にする人がいる」と。オルフェウスは手足を裂かれ、頭と竪琴はヘブルス川へ投げ込まれた。ミューズの女神たちは、切れ切れの身体を集めて、リベトラに葬った。竪琴はゼウスが星の中においた。幽霊となったオルフェウスは再び黄泉の国へ行って、エウリュディケに出会う。
ギリシア神話を幻想的に描いてきた、モローの代表作品「オルフェ」です。画家だけでなく、詩人や音楽家たちにも影響を与え続けた、数少ない芸術家の一人です。しかし、この画家ほど評価の定まらない人も珍しい。物語性の強い『主題』のせいか、不安定な表現力のためか、優れた画家の一人にはなれません。わたしには、モローの作品に惹かれる個人的理由があります。「過去の想い出」にかかわることで、ここには書けませんが、そのような印象が残像のように個々の絵にあるのかもしれません。映画を見た後の印象に、近いものがあります。

モロー「オイディプス」の紹介

この絵の主題もギリシア神話をもとに描かれている。イタリアから戻った頃の作品ですので、古典的な手法が多く見られます。
オイディプスは、「我が子に殺される」というアポロンの神託を恐れた父であるテバイ王ライオスに殺されかかるが、家臣に助けられた。成長したオイディプスは、テバイの町に行き、知らずに父を殺してしまう。オイディプスは、怪物スフィンクスに問いかけられた謎を解き、スフィンクスは悔しさのあまり崖から飛び降り、自らの命を絶った。新王となったオイディプスは、何も知らずに実の母を后に迎えるが、やがて全てが明らかになったとき、自らの目を潰して町を去る。
このように手がけた主題(画題)は歴史画や神話画が大半であるが、その解釈は画家独特のものであり、幻想性と宝石細工のような美しさに溢れている。また大作の多くは油彩画であるが、水彩による習作やデッサンなどにも画家の卓越した力量が示されている。1826年、建築家(建築技官)であった父ルイ・モローと音楽家の母ポーリヌ・デムティエの間にパリで生まれ、幼少期からデッサンなどで才能を示す。しかし、画家自身は孤高の存在であった。1888年、美術アカデミー会員に選出され、1891年からはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)の教授となり、20世紀を代表する画家ジョルジュ・ルオーやフォーヴィスムの画家アンリ・マティスらを教える。1898年、癌のために死去する。